人材コンサルティングの仕事を長年経験してきた川尻征司さんは学校におけるいじめについて色々思うことがあるようです。川尻征司さん自身はいじめられた経験もいじめた経験もない一方、これっていじめなのではないかと周囲を見て感じたこともあったとのこと。では、いじめは防げるものなのかと考えた時、絶対に防げないものだと推察します。それはいじめる子供側の考えが大きいと考えます。
いじめられる側にも理由はあるという考えはわからないでもないものの、結局いじめる側にそれ相応の理由があるからいじめは起きるし、その理由は根絶できないのではないかと川尻征司さんは断言します。
好きでいじめる側のマインドになるわけではない
赤ちゃんの頃から将来の事を自発的に考えられる人は皆無で、親からの影響を100%受けます。多くの人にとって非常識な言動でも、その人にとってはごくごく当たり前な言動だと思っているケースは、得てして特殊な家庭環境や周辺の状況がそのようにさせています。要するに、誰かを傷つけて快楽を得る、上に立とうとするいじめる側のマインドは赤ちゃんの時から自発的に考えてそうなったのではなく、たいていの場合は親の影響、周辺環境がそのようにさせたと考えるべきです。
親が過剰な教育を行いストレスがたまっている子もいれば、常に暴力を振るわれ暴力こそ愛を表現する唯一の方法と確信する子もいます。これは自発的にそうなったのではなく、親からの教育によるものです。いじめはよくないと断罪したところで、いじめる側もまた被害者意識を強く持っており、そこで抜本的に今までの事を見直し、常に反省する可能性は低いでしょう。いじめはそんな単純な理由で発生するわけではなく、いじめる側へのケアこそが必要ではないかと川尻征司さんは考えます。
親からの施しを全否定するのは酷
当然いじめをする側が悪く、それなりの処罰を与えてもかまわないと川尻征司さんは考えますが、同時に矯正させなければならないとも思っています。ところが、この矯正が非常に難しいのです。例えば暴力的な言動や人を傷つけて嘲笑するマインドは親からの影響を受けている可能性が高く、これを矯正することは親のやってきたことを全否定する必要があります。その考えは良くないと否定しないと矯正ができないからです。親がやってきたことはすべて間違っていたのかと小学生や中学生に告げれば、パニックになるのは当然です。
そう簡単に自分や家族を否定することはできません。すると、今までのことを全肯定しようと守りに入りやすく、いじめられる側が悪い、弱肉強食の世界で何が悪いと開き直ります。いじめられた側やいじめた側を断罪したい人は当然その態度に怒りを覚えるでしょう。これがエスカレートするといじめた側に大きなダメージがかかり、社会に対する怒りだけを募らせるはずです。何はともあれ、親から与えられた施しをすべて否定させるのは酷であり、難しいでしょう。
物理的に距離をとるしか道はない
いじめる側の心のケアは難しく、親自身のマインドを改めさせない限り、いじめる側は再び同じことを繰り返します。いじめられる側はその時の深い傷を抱え、人生に陰を落としながら思春期を過ごすことになるでしょう。川尻征司さんは物理的に距離をとっていじめを発生させないことが大切ではないかと考えます。オンライン授業などもあるので何かあれば自宅や離れたスペースで教育が受けられるようにしていじめる側といじめられる側を接触させないことが大事になると川尻征司さんは力説します。
ケンカはなぜ起こるかといえば距離が近いから起こるのであり、距離が遠ければ敵対心は抱きません。分かりやすい例として国同士のトラブルが挙げられます。日本では中国に対する警戒感が強く、なにかあればやられるのではないかと思いがちです。ところが、ヨーロッパやアフリカは全くそのような警戒感がありません。日本人も北朝鮮の独裁国家ぶりに辟易する一方、世界にいくつか存在する独裁国家に対して苦言を呈する人は少数派でしょう。物理的な距離が争いを避けるとするならば、積極的に距離をとらせることが現実的な解決策ではないかと考えます。
まとめ
地方都市の学校は1学年数十人程度しかいないため、そのまま持ちあがっていき、いじめる側、いじめられる側は固定化します。これを改善するのは不可能に近く、物理的に距離をとるしか解決策はないでしょう。いじめられる側に最大限の配慮をすべきであって、いじめる側の心のケアはいらないという考えの人が多数派を占める以上、やれることは限られるでしょう。