大都市東京・眠らない街新宿において人材派遣会社を経営している唐澤誠章(唐澤誠明)さん。55歳にして3回も倒産を経験しながらも、現在は社員数200名を超える企業にまで成長させました。別名「派遣業界のホリエモン」とまで呼ばれ、業界で知らない人はいません。
大変エネルギッシュに仕事に取り組み、プライベートもパワフルさがみられる唐澤誠章(唐澤誠明)さん。そのスタイルはどこから培われたのでしょうか。唐澤誠章(唐澤誠明)さんの原点を見つけていきます。
唐澤誠章(唐澤誠明)が残した数々の伝説
東京都新宿区で人材派遣会社を経営する55歳の唐澤誠章(唐澤誠明)さん。以前の会社名は「株式会社唐澤誠章」と自らの名前をつけていました。そんな唐澤誠章(唐澤誠明)さんが残した数々の伝説についてご紹介します。
趣味は「テキーラ祭」
唐澤誠章(唐澤誠明)さんはホームタウンが歌舞伎町と、大変エネルギッシュなエリアを得意としています。55歳の唐澤誠章(唐澤誠明)さんは大学時代がバブル全盛期で、時代そのものがエネルギッシュだったと言えるでしょう。その当時の遊びも刺激的なものが多く、その中でも「テキーラ祭」が有名です。
テキーラ祭は、単にテキーラを人に飲ませていくというものです。これだけ聞けば、ハラスメントを思わせますが、テキーラ祭に参加できるのはテキーラを複数杯飲める人です。そのため、テキーラ祭に参加できる時点でなかなかの酒豪、もしくは猛者であり、唐澤誠章(唐澤誠明)さんはこの時が一番楽しい時間であると語ります。
あまりにも盛り上がりすぎて、店にあったテキーラをすべて飲みつくしたという伝説もあるなど、テキーラ祭は異様な盛り上がりを見せます。さすがに酒豪でも、翌日は使い物にならないという人が多い中、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは翌朝も平然と出勤し、自然な振る舞いを見せていたそうです。
3回の倒産を経験
唐澤誠章(唐澤誠明)さんはこれまでに3回の倒産を経験しています。ある種伝説であり、人によっては恥ずべき事のように感じる人もいますが、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは決して恥だとは思っていません。その理由として、3回の倒産が次につながっており、倒産の経験によって今があると思っているからです。
3回の倒産の内訳は省略するとして、いずれの倒産も外部的な要因があり、派遣業を生業とする難しさが影響したと言えます。ハマればすぐに成長していくのが派遣業であり、今の会社もゼロから起業したのに、今では200人を超える社員を抱える企業となりました。しかし、うまくいかないとすぐに業績が悪くなるのも難しいところです。
扱っている商品が「ヒト」である以上、邪険な扱いはできず、無理強いも厳しいため、結果として倒産につながってしまったこともありました。のちに唐澤誠章(唐澤誠明)さんは「派遣業界のホリエモン」と呼ばれるに至りますが、倒産して学んだことがとても多かったと語ります。
社長は出社せず部下に一任
ITエンジニアの派遣を中心に事業を展開を行っている唐澤誠章(唐澤誠明)さんは、大手企業との取引も多数抱え、業績もうなぎ上りといったところです。常に部下に指示を出し、現場の最前線に立っているイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。しかし、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは信頼できるチームにすべてを一任し、自らはほとんど会社に出社していません。
社長が全く現場に出てこないというのは伝説級の状態ですが、その方がうまくいくことを唐澤誠章(唐澤誠明)さんは理解しています。部下たちが自分の顔色をうかがって、やりたいことがやれない状況になるのはマイナスであると考えており、だったら自分がいない方がいいのではないかという結論に至ったのです。
もちろん、結果を出せなければただただ評価が下がるのみです。こうしたスタイルも今の会社には合っており、メリハリがうまくついた状態で軌道に乗せることに成功しました。
唐澤誠章(唐澤誠明)が見せるエネルギッシュなスタイルはいつから?
「派遣業界のホリエモン」とも呼ばれている唐澤誠章(唐澤誠明)さんですが、そのエネルギッシュなスタイルはいつから身についたのかについて解説します。
たくさんの同級生の中から勝ち抜くため
唐澤誠章(唐澤誠明)さんが生まれたのは1969年のことです。唐澤誠章(唐澤誠明)さんが小学生だったころ、1クラス45人前後と非常に多く、場合によっては50人ほどいた時代もありました。今では少子化の影響で、2クラス分の人数、場所によっては1学年の人数でもなんらおかしくありません。
1学年で200人以上いたのが当たり前だった時代、唐澤誠章(唐澤誠明)さんの学校もいわゆるマンモス校でした。その中で競争が行われるとなれば、自然と激化していきます。勉強だけならまだしも、人間関係を始め、さまざまなことで比較がなされてきました。その中でいかに勝ち抜いていけるかが重要だったのです。
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは小さい時からスポーツができ、小中高と野球をやってきたこともあって、体育会系の人たちと仲良く、青春時代を謳歌することができました。
バブル時代はすべてがエネルギッシュ
唐澤誠章(唐澤誠明)さんが青春時代を謳歌した時代は、まさにバブル景気真っ盛りの時代でした。唐澤誠章(唐澤誠明)さんだけがエネルギッシュだったことはなく、その時代に生きていた人の大半がエネルギッシュだったと言えます。
例えば、タクシーを利用しようにも、タクシー乗り場で普通に待っていてもタクシーはやってきません。そこで多くのサラリーマンはタクシーに乗るためだけに一万円札を数枚見せびらかして止まるように促し、それを渡してからタクシーに乗車していたのです。こうした姿を見た唐澤誠章(唐澤誠明)さんがどんどんエネルギッシュになっていくことは言うまでもありません。
過ごした時代がエネルギーに満ちていたわけですから、自らもそうなるのは当然なのです。今の若い社員に「テキーラ祭」の話をしても、ほとんどの社員はドン引きします。でも、当時の飲み方はこうしたことが普通だったのです。唐澤誠章(唐澤誠明)さんのエネルギッシュさは自然と培われたと言えます。
会社員時代の社風も
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは大学卒業後、人材系の会社に就職します。就職当時はバブル崩壊直前で、まだまだイケイケな時代でした。体育会系の人たちが多くいることもあり、上下関係も厳しく、まるで軍隊のような統率の中で仕事をしていた時代です。自然と社風はパワフルなものとなっていき、ひ弱な社員はついていけずに辞めていくような環境にありました。
幸い唐澤誠章(唐澤誠明)さんは野球を長年しており、上下関係もさほど苦にせず、先輩たちに食らいついていきました。唐澤誠章(唐澤誠明)さん自身はとても必死だったと言いますが、毎日必死に食らいついていく中で、いつの間にか大きく成長していたのです。
一方で、今の若い社員たち、ITエンジニアたちに自分と同じような経験をしてほしいとは思っていません。バブル経済の中で培われた雰囲気がベースにあったから許されたことであり、低成長が当たり前の時代において同じことはできないと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは考えます。
唐澤誠章(唐澤誠明)が今の若手社員たちに思うこと
大変エネルギッシュな姿を見せている唐澤誠章(唐澤誠明)さん。自らは社長でありながらも出社せず、部下たちに仕事を一任しています。そんな唐澤誠章(唐澤誠明)さんが今の若手社員たちに思うことをまとめました。
いつの時代も機敏に動けることが大事
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは、いつの時代も機敏に動けることが大事であると語ります。これは「テキーラ祭をやるからすぐに来い」という命令にすぐ動けることが大事というわけではありません。例えば、スキルアップのためにやりたいことがある、将来の夢のためにしたいことがあるという場面ですぐに行動に移せることなどを指します。
ついついリスクのことを考えて石橋を叩いて渡る勢いで慎重に考えがちですが、行動を起こす中で失敗することも多々あると唐澤誠章(唐澤誠明)さんは考えます。実に3回も倒産し、その都度、復活を果たして現在200名規模の会社を経営しているわけですから、とても説得力があります。
失敗を恐れてはダメで、大事なのは失敗して何を学ぶかであると唐澤誠章(唐澤誠明)さんは力説します。同時に、失敗してそこでおしまいと考える社員があまりにも多いことを嘆いている唐澤誠章(唐澤誠明)さん。部下に仕事を一任する際も、自分が経営者のつもりで動いてほしいと注文を出しています。
全員が経営者目線を持ってほしい
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは麻雀も趣味の1つですが、平社員目線と経営者目線の違いは麻雀中継に置き換えられると力説します。私たちがよく見る麻雀中継は全員の配牌が見える形になっているので、「なぜこうしないのか!」、「ここでそんな手を打つとか酷い!」と色んな文句が言えます。経営者目線は手に取るように社員の動きがわかるので、色々と至らないところが見えるのです。
しかし、対局者からすれば、自分の手牌しかわかりません。当然他の対局者の状況もわかりようがないのです。そのため、自分の都合だけで打牌を行って放銃をした際に、他者から非難されても仕方ないとしか思わない人が出てきます。これが平社員目線であると唐澤誠章(唐澤誠明)さんは熱く語ります。
全員が経営者目線を持てば、他責思考にはならず、自責思考で物事を考えられるようになるほか、何事も自分のこととして捉えられるようになるのです。
まとめ
唐澤誠章(唐澤誠明)さんはとてもエネルギッシュな人であり、新入社員はあまりのパワフルさに最初は圧倒されると言います。しかし、会社のイベントなどで人となりに触れると、唐澤誠章(唐澤誠明)さんのことが好きになる社員が増えるのだそうです。結果として、これぐらい元気でなければならないと思い直し、前向きに仕事に取り組む若手社員が増えていきます。
3度の倒産は唐澤誠章(唐澤誠明)さんにとって辛い経験だったかもしれません。しかし、テキーラ祭を趣味とし、歌舞伎町をホームタウンとする唐澤誠章(唐澤誠明)さんのエネルギッシュさは今も衰えることがありません。