株式会社フヨウサキナ、新たな美容カンパニーへの挑戦!

1982年の発売から今に至るまで100万台以上美顔器を売り上げるなど、美顔器市場を大きく開拓し、美顔器を全国に浸透させてきたのが株式会社フヨウサキナであり、その創業者奥村久雄さんです。

株式会社フヨウサキナの前身の会社は元々富山の置き薬の会社であり、美顔器販売に乗り気ではなかったものの、周囲の人たちの後押し、推薦を受けて販売を始め、ここまでになりました。そんな株式会社フヨウサキナでは新たな美容カンパニーを目指すべく、多角的な動きを見せています。その動きをまとめました。

最初は美顔器とわずかなアイテムしかなかった

株式会社フヨウサキナでは、1982年の販売から美顔器を取り扱っていましたが、当初はこの美顔器と、石鹸やピーリング剤のみしか販売していませんでした。

この理由として、美顔器を使うにあたり、何を使っても変わらないであろうという考えがあったためで、化粧品などは自由に使っていいというアナウンスもありました。しかし、美顔器を使っていく中で、効果が出る人、そうでない人の差が生じるようになり、それはなぜかを探っていくと、普段使っている化粧品の違いが大きく関係していたというわけです。

今まで使っていたものをそのまま使う、そんな人が多かったのですが、株式会社フヨウサキナが販売してきた美顔器は、高周波の電流を流してお肌にハリを与えることができました。その電流をうまく流すには、電流を伝わりやすくする必要があり、油分が多いタイプではそれができません。

美顔器の効果を高めるため、化粧品を開発する、そんな動きが株式会社フヨウサキナの中で出てきました。

すべてはお客様の肌のために

株式会社フヨウサキナでは、美顔器専用の化粧品を開発するなど、お肌目線でより考えるようになり、1990年、エステファイヴ化粧品が誕生します。

エステファイヴ化粧品はお肌に優しい成分を使った、美顔器専用化粧品であり、美顔器と化粧品の併用が行われました。当時は化粧水や美容液が販売され、スチームに入る前に化粧水をコットンにしみこませてからふき取るなどの作業が行われました。エステファイヴ化粧品はシリーズ化され、1993年にはエステファイヴ化粧品シリーズは完成します。

その後、美顔器が開発されていく中で化粧品も様々なものが登場し、1999年にはテステマイズ化粧品シリーズが始まるなど、美顔器専用化粧品は段々と整備されていきます。

それに付随するように美顔器も売れていき、前身の扶洋薬品東日本株式会社、扶洋薬品西日本株式会社が合併し、株式会社フヨウサキナが誕生、2009年にはサキナビューティープログラム化粧品が発売され、現在も売られているサキナピノの販売が始まります。

そこにあるのは、お客様のお肌にとっていいか悪いか、少しでもお肌にいいものを提供するために、色々なものを整備していきます。

お肌以外のことも行うように

株式会社フヨウサキナでは、お肌に関するもの以外も取り上げるようになっています。2010年にはサキナSQシリーズ、フードケア、サプリメントケアの発売を開始し、内側から美しさを手に入れる動きを見せ始めます。

2015年にはサキナウィッグの販売も始めり、見た目年齢の低下のための施策を打ち出します。一方化粧品の開発も行い続け、2012年にはエイジングケアに関する化粧品、2014年には男性向けの化粧品の開発にも乗り出し、販売が行われました。美顔器といえば女性が使うものというイメージが強かった時期に、男性も使い、男性のお肌に合わせたものを開発し、世に送り出します。

ベースメイク、プロテクトなど色々な商品を売り出すことになる、株式会社フヨウサキナ。新しい美容カンパニーとしての挑戦はこれからです。

ここ数年は奥村久雄さんが寿命を全うするなど、これまで株式会社フヨウサキナを支えてきた人たちが様々な理由で去るケースが見られ、株式会社フヨウサキナは新たな時代へ突入しようとしています。しかし、奥村久雄さんが大切にしてきた精神は株式会社フヨウサキナで働く社員全てが大切にしているため、奥村久雄さんが亡くなって数年たった今も、当時と変わらぬポリシー、行動指針で経営を行い、肌カメラの導入など、時代に合ったアプローチを見せています。

まとめ

株式会社フヨウサキナは美容カンパニーとして、他にはないものをどんどん打ち出しています。その一方で変わらないものも多く、株式会社フヨウサキナに期待し、いい意味で変わらないことを願う人たちの声も多いです。株式会社フヨウサキナの将来は、現在美顔器を使い、化粧品を活用している人たちの信頼を保つことで守られており、それを大切にする以上、これからも安泰でしょう。

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